hunting狩猟とは(第二十二話)

原点 その一考 日本人の祖は狩猟民族だった

この国に根ざし生きる民の祖 遡る縄文時代其れは

野生鳥獣を追い求め 移動を続ける狩猟民族だったと

言られている 然るに命有るものを糧とせん生業は

約束された日々と程遠い まこと厳しき生活で有った

だろう事は想像するに難くない

やがて食料の安定確保への道 芳醇な土地に留まり

農耕民族へと変化を遂げるのも きっと自然な成り行き

だったのだろうが 焼畑から始まり稲作が伝わる過程での

収穫時期に間疑い無く起きただろう 野獣による食害は

正に死活問題へと直結したのではなかろうか?
民の多くが安住を求め 農耕へと可能性を求める集団の中で 作業の手を止め或いは役割分担され

集落内で狩りに長けたグループが再び組織化されて行ったのではないかと考えられます

現代史としてのマタギ文化は三河で産まれ東北へと伝わるとされていますが その基礎はずっと前

古代から脈々と伝え根付いて来たのものでしょう 仏教伝来等から生殺与奪の戒めと否定により

距離を置かれたり 或いは言われ無き差別の対象に立たされた不遇時代が長く恒常化したせいか

この国にて狩猟に携わる者に対して 世界各国での位置づけに比べてみると 一種独特とも感じる

ヒステリックな妥協顧みない反応が存在し 其れは現代社会においてまで存在理由に影響を与え

此処に追い込まれたかもしれません 大きな不必要論の中急速に終末期を迎えんとする狩猟界で

逆風世論に対し 自分から何ら替える努力為してこなかった怠慢から進み終に此処までと云った

感すら有ります 何時の頃から語られ出した スポーツに趣味娯楽の位置付けは 私が見聞き体験

して来た狩猟観とは随分違っていました 時代は開発という名の嵐に翻弄され中でも野鳥の減少

は著しく 猟界での絶対多数を占めたバードハンティング鳥猟からの宗旨替えは何時の間にか内容の

多様化を招きその基礎となるべく教えは無意味化し根付いて行ったのかもしれません 各々による

目的が理念を凌駕し 結果こそが全てと云った風潮は何時か余裕の無いギスギスした感覚を齎した

のかもしれません 口下手で表現力も乏しい数多の猟師は 周りからの多様な圧力に抗し切れずに

銃を返し去る者が相次いで居ます 多くの猟人が逆風強き世論の中一体何によって動かされ続けて

居るのか? 寒村での獣害からの防御或いはこの活動が単に好きだから? どちらもひとつの要因と

成り得るでしょうし双方複雑に絡み合い今が有るのかもしれません その昔自然発生的に産まれた

野生鳥獣の食害に備え立ち上がった個々は 狩猟民族の末裔DNAを色濃く受け継いで居るかの様

思えてきます 産れながらに持ち合わせた抑え切れない血のざわめきとでも云うのでしょうか?

声高に世に問う否定的発言の内容には 命の尊厳を弄ぶ尊大さ その残酷さ等が良く取り沙汰され

此れはその世界を内側から見た体験が無く 見た侭印象だけの位置付けが多いと思えて成りません

忘れて為らない事に 人間は元より生きて行く為に数多の犠牲の上積み重ねに成り立って居て

その瞬間さえ見ず 自らが手を染めなければ良しと云う考えにはどんな美辞名句に置いても とても

同意出来るものではありませんし あえて書き残しますと命に携わるその全てに関わる事から猟者は

その尊厳に対し多くの者は真摯な姿勢で向き合えると信じています しかし残念な事に過程を返り

見ず 結果のみ追い求め其れが全てと言い切る姿勢も昨今目立ち出しています 長く受け継がれ

尊厳をふまえての活動それさえ何処かに置き忘れる現場などに 偶然居合わせたりすると 何とも

複雑な気分に陥る今日この頃では有ります

                                                       oozeki